3/11 7年前のあの日
あれから7年ですか。
あの頃は栃木県の宇都宮インターパークに勤務してました。
ちょうどあの地震の直前に、お客さんのとこに行く為に営業車のとこまで向かう時でした。
2階が売り場で1階が搬入口、2階へのエスカレーターがあるエントランス、駐車場というピロティ式の店舗で、駐車場と搬入口奥の倉庫を隔てるシャッターがビリビリと震えていました。
まだ大きく揺れる前で、結構風があるのかな~?くらいに思いましたが、その割に体に吹き付ける風は感じません。
なんだろう?と思いつつ車に乗りこみます。
今考えれば大きく揺れる前の微振動だと思いますが、たっぷり30秒以上はビリビリしてたと記憶しています。
車に乗り込んですぐに揺れを感じて、あぁ地震のせいか・・・と思った瞬間揺れが大きくなりました。
少し様子を見てましたが、あまりにも揺れが大きくて、ここにいるとやばいかも・・・と思い、建物の下から外に出ます。
すると目の前の福田屋(イオンみたいなショッピングセンター)の屋上にあるサインがぶっちぎれんばかりに揺れていて、これはやばいレベルの地震だと実感しました。
ラジオを付けると、東北で震度6強の地震が発生したと緊急速報が伝えていました。(後に震度7に変更。宇都宮も震度6強でした。)
広範囲に停電したので、店も予備電源で点灯する非常灯しかついていないのはもちろん売り場もいろんなものが散乱。
その後2~3日は復旧しなかったようです。
自分はというと、携帯電話も使えなくなっていたため一応お客さんとこに行きました。
荷物まとめて実家に避難するのに家を出るとこでした。w
ちょっと相談して、後日改めて連絡することにし店に戻って片づけとかのお手伝い。
ちなみに店長が休みで副店長が居ましたが、てんぱっちゃって役立たずと化していました。w
帰りはもう暗くなっていましたが、国道4号はひどい渋滞で県道に迂回。
所々停電してました。
信号機も動いてないところもちらほら。
自宅は幸いに停電も断水もありませんでしたが、実家は停電しちゃってたようです。
断水も一週間続きました。
ガソリンも無くて会社にも行けなくなり、一週間自宅待機。
家でニュースばかり見ていました。
仙台の店舗に研修に行っていたときもあり、津波被害の映像を見ながらお世話になった人達のことを考えると泣きそうになったり・・・
当時も東北に会社がある方2人と一緒に仕事をしていたんですが、その担当者のそれぞれの自宅も津波に巻き込まれたようで、当然連絡も取れず。
もう諦めてるんですが・・・と言った時の沈痛な顔は忘れられません。
結果的には双方無事を確認できた時は、心底ほっとしました。
実家に戻るときに、水やらカップ麺やら大量に持たせてあげました。
色々あり過ぎて書ききれませんけど、細部は忘れていることも多いですが一つ一つは凄く印象に残ってることも多いです。
1日も早い復興を願いつつ、亡くなった方々のご冥福を祈りたいと思います。
Sさん、Tさん、元気にやってるかなぁ?
忙しいと思いますが、無理せずマイペースに頑張ってください。
そのうち遊びに行きますね。